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地方自治を土台から掘り崩すふるさと納税
A ふるさと納税制度を基礎づけたふるさと納税研究会報告書
2008年から始まったふるさと納税制度(太字は全て筆者による)。この制度は、総務大臣のもとに設けられたふるさと納税研究会(以下 研究会)が、その前年にまとめた報告書(以下 報告書)に基礎づけられている。ふるさと納税制度の本質は、全てこの報告書の中に凝縮されている。そこでまず、報告書を順を追って見てみる。
総括
1 ふるさと納税の意義 (ページ1 ページ数は報告書のページ 以下同じ)
まず論議の前提として、こう述べる。「地方のふるさとで生まれ、教育を受け、育ち、進学や就職を機に都会に出て、そこで納税をする。その結果、都会の地方団体は税収を得るが、彼らを育んだ「ふるさと」の地方団体には税収はない。そこで、今は都会に住んでいても、自分を育んでくれた「ふるさと」に、自分の意思で、いくらかでも納税できる制度があっても良いのではないか」。さらに「お世話になった「ふるさと」にできれば恩返しをしたいという多くの人々の琴線に触れたのだろう」と続ける。のっけから仰天する。税金や地方自治そのものについて考えるのではなく、ふるさとやそこへの恩返しといった、誰もが反対しない概念から始めている。
そして、ふるさと納税が大きな関心を呼んだ意義として、次の三つをあげる。
第一 納税者の選択
「国民は義務として税を負担することになっている。したがって、(以下ページ2)―――国及び地方団体が課税権に基づき強制的に徴税する。――「ふるさと納税」はこれに対して、たとえ納税分の一部であっても、納税者が自分の意思で、納税対象を選択できるという道を拓くものであり、それが実現すれば、税制上そして税理論上、まさに画期的な歴史的意義をもつものといえる。自分の意思で納税先を選択するとき、納税者はあらためて、税というものの意味と意義に思いをいたすであろうし、それこそは、国民にとって税を自分のこととして考え、納税の大切さを自覚する貴重な機会となる」。
つまり、税のもつ強制性に対して、自主性を対置する。それは、報告書も述べる通り「税制上そして税理論上、まさに画期的な歴史的意義をもつものといえる」。ここでも、納税者の税一般に対する不満や疑問に対して、あたかも納税者の自主性が実現するかのような、感情への訴えとなっている。しかも、「税を自分のこととして考え、納税の大切さを自覚する貴重な機会となる」かのような幻想を振りまく(後述)。
第ニ 「ふるさと」の大切さ
「自分を育んでくれた「ふるさと」は誰にとっても親のようにかけがえのないものである。―――「ふるさと納税」を通じて多くの人々は、こうした「ふるさと」の大切さ、自分達の生活を支えてくれている自然の恵みへの感謝、そして育んでくれた人々への恩返しの思いをあらたにするに違いない」と述べる。ここでも、意義で述べられたふるさとやそこへの恩返しといった、誰もが反対しない概念を持ち出す。
ただ、それだけでは不十分だと考えたのか、こう付け加える。「出生地や過去の居住地に限らず、いわゆる「二地域居住」を行っている地域に貢献したいと考える人、ボランティア活動などを通じて縁のできた地域などを応援したいと考える人も増えてきている」。ここでも、応援といった誰もが反対しない概念を持ち出す。しかも単にふるさとやそこへの恩返しだけではなく、居住地以外への納税に道をひらく。
第三 自治意識の進化
「納税を受けたい全国各地の地方団体は、―――その魅力をおおいにアピ−ルする必要が出てくる。―――自治体間競争が刺激されるだろう。―――この切磋琢磨は、「ふるさと」の地方団体と住民に、納税をしてもらうに相応しい地域のあり方をあらためて考えてもらう貴重な機会となるだろう。地方自治は民主主義の学校と言われるが、地方自治の根幹を支える個人住民税(以下ページ3)の世界に「ふるさと納税」を導入することは、地域の地方団体にとって、自らの自治のあり方を問い、進化させる重要な契機になるはずである」と述べる。現実は、正反対になっている(後述)。
さらに、こう付け加える。「ふるさと納税の実現により、納税者と地方団体との間に新たな関係が生まれることが期待される。地方団体においては、その団体を応援し、見守ってくれている納税者が全国各地に存在することを意識し、「ふるさと納税」により得られた収入を納税者の「志」に応えられる施策に活かしていくことを通じて、その地域が活性化し、内発的発展が促されることが期待される。また、納税者についても、「ふるさと納税」を行うことを通じて、地方行政に対する関心、参加意識が高まり、「ふるさと」の地方団体とともに成長していくことが期待される。」 一方では、「地方自治の根幹を支える個人住民税」と述べながら、他方では「ふるさと」の地方団体と述べる。これでは、ふるさとへの応援なのか地方自治の充実・活性化なのか意味不明だ。その結果むしろ、「地方行政に対する関心、参加意識が高まり」「民主主義の学校と言われる」地方自治に寄与しないことになる(後述)。
2 わかりやすく、使いやすい仕組みを目指して (ページ3)
(1)「ふるさと」の概念
「ふるさとはすべての人々にとって存在するが、出生地なのか、養育地なのか、といった点を納税の条件として厳密に証明することは必ずしも容易ではない(以下ページ4)」として「納税者がどこを「ふるさと」と考えるか、その意思を尊重することが「ふるさと納税」の思想上、より重要との見地に立ち、納税者が選択するところを「ふるさと」と認める」。これにより、すでに意義の第二で示されたように、単に生まれ育ったふるさとにとどまらず、全国全ての自治体が対象となった。
(4)個人住民税の税額控除と手続の簡略化 (ページ4〜5)
「現行の寄附金税制では、地方団体に対する寄附金が所得控除の対象とされており、寄附金額に税率を乗じた額の軽減措置が受けられるが、税額控除の方が納税者にはわかりやすく、貢献意識も湧く」と述べ、税額控除とした。
本論
T これまでの制度と「ふるさと納税」論議 (ページ6)
まず、地方団体に対する寄附金が個人住民税における所得控除の対象になったことを述べる。そして、所得税に係る寄付金控除に比して、個人住民税に係る寄附金控除が適用者数・金額ともに極めて少ないことを指摘する。「その理由として、10万円という個人住民税の寄附金控除の適用下限額の高さが指摘されている」とする。
ページ7では、「地方団体の長などからは、都会に転出した者が成長する際に地方が負担した教育や福祉のコストに対する還元の仕組みができないか、生涯を通じた受益と負担のバランスをとるべきではないかといった意見が表明される一方、都会で生活している納税者からも、自分が生まれ育った「ふるさと」に貢献したい、自分と関わりの深い地域を応援したいといった意見が強く出されるようになってきた」と述べる。さらに註で、「子どもの出生から18歳までの間に教育・福祉・医療等の費用として、1人当たり平均約1600万円の公費負担が行われているという試算がある」と付け加える。つまり、1600万円もの子育て費用を負担しながら、納税をする段になったら都会に行ってしまい、そこで納税する。育ててもらったことへのお返しが無いという訳だ。その余りにおかしい論理については、後程見る。
U 制度設計の前提となる論点 (ページ7)
1 「ふるさと」の概念
すでに総括の2で述べらているように、ふるさとを限定することの困難を述べ、二地域居住やボランティアで縁ができた地域も対象にする。さらに(ページ8)「将来、自分や子どものふるさとにしたいと考えている地域」もふるさとに含める。こうして、全ての地域が対象となることに道をひらく。そして、それを正当化する根拠を「何より納税者の意思を尊重する観点」とする。ここでも、納税者が納税先を選択できることの素晴らしさを述べる。また対象は「都道府県と市町村のいずれかに限定せず、どちらも対象」とする。そして、「ふるさと納税の対象となる「ふるさと」とすべき地方団体は限定せず、納税者の意思に委ねることとするのが適当である」と結論する。
2 「税」を分割する方式の可能性(ページ9)
「住所地の地方団体に課税される納税者が、税金の一部を住所地以外に納付する方式、言い換えれば、「税」を分割する方式をとることが可能かどうか」として、住民税について検討する。
(1)受益と負担
「個人住民税は、地方団体の歳入の中心となる地方税の中でも基幹的地位を占めており、住所地の地方団体から行政サービスを受けている者が負担すべきもの、いわば「地域社会の会費」と位置付けられている」と述べる。住民税の基幹性を認めつつ、行政サービスに対する受益と負担の視点から「地域社会の会費」とする。そもそも、住民税をこのように考えること自体の問題については、後に詳しく見る。
そして、「地方団体の行政サービスのうち、教育や福祉などの対人サービスの多くは、基本的に住民に対して提供されることから、個人住民税は、地方団体がその住民(当該団体の区域内に「住所」を有する者)に対して課税することとなっている」と続ける。しかし、「課税する側の論理だけでなく納税者の意思を尊重する必要があるのではないか、あるいは住所地主義と結びついた受益者負担の原則は、人の移動が少なかった時代の税制であり見直す必要があるのではないか、といった意見もある」として、ここでも 納税者の意思を打ち出す。
ところが、「これらの意見が提供する問題意識はそれ自体大きな意味があるが、他方、住所地の地方団体に課税される納税者と住所地以外の地方団体との間で受益と負担の関係を説明することが困難である以上、住所地以外の地方団体に個人住民税の課税権を法的に根拠付けることはできない」と述べて、住民税の課税権そのものは、論議の対象から外す。さらに、「受益と負担の対応関係については、基本的に両者が時間的に近接していることが求められ、地方団体の行政サービスを賄うために必要な財源は、基本的にその時点において当該地方団体から受益している者により負担されるべきものである」とする。
(2)課税権(ページ10)
「個人住民税は、地方団体がその区域内に住所を有する者に対して行政サービスを提供していることに着目し、受益と負担の関係に基づいて地方団体が課税しているものである。このため、住所地以外の地方団体に個人住民税の課税権を法的に根拠付けることはできない」と述べて、住民税そのものを対象とすることを重ねて否定する。
(3)租税の強制性(ページ11)
「租税は、国や地方団体が、私的部門で生産された国民・住民の富の一部を公共サービスの資金の調達のために、強制的に国家・地方団体の手に移す手段である。その裏付けとなる租税法は、多数の納税義務者の財産権に関わり、納税者相互間の公平の維持が必要なことから、個々人の意思に関わらず画一的に取り扱わなければならない強行法の性質を持っている。このような租税の強制性に照らせば、納税者の意思により「税」の納付先を任意に選べる仕組みは、強制性を本質とする「税」とは相容れないものである。主要先進国においてもこのような税制を有する国は見当たらない」と述べて、納税者の意思を否定する。これまで、繰り返し納税者の意思について述べてきたのは何だったのだろうか?
(4)住民間の公平性
「個人住民税の一部を分割して他の地方団体に対し納税することとした場合、「ふるさと納税」を選択した者と住所地の地方団体に全額納税した者との間での公平性が論点となる。同額の所得を有する者が、同一の地方団体の区域内に居住し、その行政サービスを受けているにも関わらず、住所地の地方団体に(以下ページ12)納付する個人住民税の金額が異なることは許容されるのかという議論である」と述べて、住民税に差が出ることへ疑問を呈する。ところが、「公平性の侵害の程度が一定の範囲内にとどまる限りにおいては、許容され得るものと考えられている」として、「具体的に「ふるさと納税」を検討するに当たっては、住所地の地方団体に納税されるべき税額がどの程度の割合まで減少することを許容するかという形で問題となる」と述べて、結局は、住民税が減り差が出ることに道をひらく。しかし結論として、「以上の検討から、「ふるさと納税」について、「税」を分割する方式は、とり得ないと考えられる」とする。さすがに、住民税そのものに手を付けることは断念する。
そこで編み出されたのが、寄附という手法であった。
(5)「寄附金」税制を応用する可能性
「ふるさとの地方団体に対し寄附を行った場合に税負担を軽減する措置を講ずるという「寄附金」税制を応用する方式をとることとすれば、以下のとおり、「税」を分割する方式における問題点はクリアされると考えられる」として、前記の各点について述べる。
「(1)の受益と負担の関係については、寄附は個人の自由意思に基づくものであり、受益に対する負担という性格を有するものでないことから、寄附者が地方団体に寄附を行う時点で当該地方団体からの受益があるかどうかは問題とはならない」
「(2)の課税権との関係については、寄附は、課税権に基づく課税に応じた納税とは異なることから、寄附先となる地方団体に寄附者に対する課税権が認められるかどうかはそもそも問題とはならない」
「(3)の租税の強制性との関係については、寄附は任意性を本質とするものであり、そもそも問題とはならない」
(ページ13)
「(4)の住民間の公平性については、「寄附金」税制方式による場合であっても、税負担の軽減による住民間の公平性の侵害の程度が許容される範囲内に収まるよう、税負担の軽減の程度を設定することが求められる」
こうして、寄附金制度の活用に大きく舵を切る。そして、その方法の細部について検討する。
V 寄附金税制の応用による「ふるさと納税」制度の検討(ページ13)
1 国が果たすべき役割
「ふるさと納税には、納税者の選択を通じて「税」に対する意識や我が国を構成する各地域の「ふるさと」に対する思いが高まるとともに、地方団体における自治意識が進化し、効果的な自治体間競争が刺激されるという大きな意義がある。これらは地方団体のみならず国にとっても大きな意義を有するものであり、本来であれば、これらは地方団体のみならず国も自らの国土政策などを通じて達成すべきものであることを鑑みれば、制度を構築するに当たっては、国も相当程度の役割を担うことが望ましい。また、地方税である個人住民税のみから控除する制度とした場合、地方税制に与える影響が大きくなることも懸念される。―――「ふるさと納税」の導入に当たっては、国が応分の負担をすることにより、初めて大きな効果が発揮されるものと考えられる」と述べて、(ページ14)「所得税と個人住民税双方を対象とする」こととする。
2 控除方式のあり方
「現行の寄附金控除の仕組みにおいては、課税標準である総所得金額等から寄附金額の一部を控除する所得控除の方式をとっているが、税額を軽減する方式としては、所得控除方式の他に税額控除方式もある」として、所得控除と税額控除を比較検討する。
その結果、(ページ15)「ふるさと納税においては、その趣旨に鑑み、税額軽減効果が高いことが求められる。このため、税額軽減効果に限界がある所得控除方式ではなく、高率の控除率を設定することが可能な税額控除方式をとることが望ましい」と結論する。ふるさと納税の趣旨と高率の控除がどう結びつくのか、意味不明だ。ともあれ、はじめから高率の控除が目的となっていた事が、実によく示されている。さらに「控除方式のわかりやすさという観点から見ても、―――税額控除の場合、控除額と税額軽減額が同額となるため、納税者にとっては、税額控除方式の方がその効果を実感しやすく、わかりやすいものと考えられる」と述べる。つまり、減税を見えやすくしようということだ。
3 個人住民税の控除方式を税額控除方式とする場合の個別の検討課題
(1)個人住民税の税額控除の割合
「ふるさとに対する寄附金のうち税額控除の対象とすべき割合をどの程度とすべきかが問題となるが、納税者の「ふるさと」への貢献という真摯な思いを実現するという「ふるさと納税」の趣旨に鑑み、税額控除の割合は、できるだけ高く設定することが求められる」と議論を始める。そして、「税額控除の割合の設定については、大きく2つの考え方が存在する」として、二つの考え方をあげる。(以下ページ16)「一つは、―――寄附を行うことによって、納税者の税と寄附を合わせた負担は原則として増加することがないようにすべきという考え方であり、この考え方に従えば、――税額控除の割合は全額すなわち100%とすべきということとなる。他の一つは、寄附者の「志」を活かす観点、真剣に寄附先を考えることにつなげる観点、あるいは寄附金税制の形をとる以上、一定の持ち出し(自己負担)が必要という観点に立つ考え方であり、これに従えば、税額控除の割合は、全額ではなく、例えば80%など寄附金の一定割合とすべきということになる。」
そして、「寄附を行うことによって、納税者の「税」と「寄附」を合わせた負担は原則として増加させるべきではないという考え方に立ちつつ、税務執行上の煩雑さ等も勘案して適用下限額を維持することとし、寄附者の負担となる下限以下の部分については、寄附者の「志」が活かされことになると考えることが適当である」とし、註で「下限額を超える部分のみを控除対象」とする。果たして、下限以下の部分については、寄附者の「志」が活かされることになるのかについても、後程検討する。
さすがに、現行の寄附金控除制度との整合性が気になったのか、この点について検討する。「地方団体を他の団体と異なる扱いとすることとなるが、――@地方団体に対する寄附金は、行政サービスの財源に直接充てることが可能な一般財源となるものであり、他の団体に対する寄附金とは性格が異なること、A地方団体以外の団体に対する寄附が行なわれた場合、地方団体の歳入は、個別団体でみても、地方団体全体でみても必ず減少するが、地方団体に対する寄附が行なわれた場合は、寄附金控除を行う地方団体の歳入が減少しても寄附を受けた地方団体(以下ページ17)の歳入が増加するため、地方団体全体の歳入総額は減少しない」と述べ、さらに「地方税である個人住民税の制度上、特に高い公益性を有すると評価しても問題ないものと考えられる」と結論する。つまり、地方全体では歳入が減らないので問題ないというわけだ。この報告書が、地方自治をどのようなものと考えているか、実によく示している。
(2)控除対象となる個人住民税
2 控除方式のあり方で見たように、控除については、税額控除とした。まず、所得控除方式で行われている現行制度において、地方団体に対する寄附金の控除が、都道府県と市区町村間でどのような割合で行われているかを検討する。「所得割の税額は、所得控除後の課税所得に対し都道府県民税は4%、市町村民税は6%の税率を乗じて算出する仕組みとなっていることから、寄附先が都道府県及び市区町村のいずれであるかに関わらず、都道府県民税及び市町村民税の双方の税額が軽減されることになる。これを税額控除方式とする場合、都道府県民税及び市町村民税のいずれか一方のみから控除する方法も考えられるが、納税者の意思としては、寄附を行った地方団体における寄附金の使途などに対す関心は強いものの、軽減される税が都道府県民税及び市町村民税のどちらの税から控除されているかという点についての意識はほとんどないものと考えられる」として、「個人住民税における控除の対象は都道府県民税及び市町村民税の双方とし、―――4割を都道府県民税から、6割を市町村民税から、それぞれ税額控除する」こととする。正に語るに落ちるだ。納税者が、寄附金の使途にどれほど関心があるかは、はなはだ疑問だが、「都道府県民税及び市町村民税のどちらの税から控除されているかという点についての意識はほとんどない」とは、ふるさと納税制度の実態を実によく示している。
(3)個人住民税の税額控除の上限額
まず、税額控除の上限について検討する。「高い税額控除の割合を設定することとした場合」と始める。高い税額控除は、当然の大前提とされる。しかし、それではさすがに問題が多いと思ったのか、「寄附金額のうち特に高い税額控除率を適用する部分については、納税者間の公平性の確保の観点から、適用上限額を設定することが適当であり、一般の社会通念に照らし、負担の公平感を損なわない程度の水準とする必要がある」と続ける。(以下ページ18)「また、「地域社会の会費」という個人住民税の性格を踏まえれば、住所地の地方団体に納付される個人住民税額が大きく減少するような仕組みをとることは適当ではなく、この観点からも、特に高い税額控除率を適用する部分については、一定の上限額を設定する必要がある」と述べる。
ところが、「他方、上限額が低すぎると、「ふるさと納税」制度の趣旨が活きないことが懸念される」として、「これらを総合的に勘案すると、寄附金額のうち特に高い税額控除率を適用する部分については、この制度が適用となることにより軽減される個人住民税額の上限額を、個人住民税所得割の税額の1割とする」ことにする。一方で、所得控除の対象となっている現行の寄附金控除が、寄附者の総所得金額等の25%となっていることとの整合をとろうとする。「ふるさと納税に相当する寄附金に対する税額控除制度の上限額を超える寄附金についても、これまでと同等程度の税額軽減措置は受けられるよう所要の措置を講ずることが望ましい」と述べる。
(4)個人住民税の税額控除の適用下限額(ページ19)
次に、税額控除の適用下限額について検討する。「現行制度においては、地方団体、日本赤十字社及び共同募金会に対する寄附金額の合計額が10万円を超える部分が寄附金控除の対象とされているが、この適用下限額は、所得税における適用下限額の5千円と比べても高すぎるため、大幅に引き下げるべきとの指摘がなされてきている」。さらに註で、「寄附金控除の適用下限額については、少額の寄附金まで所得控除の対象とした場合には税務執行上煩雑となりかねないこと等の理由により設けられたものであるが、所得税における寄附金控除の適用下限額は、順次引き下げられ、現在では5千円となっている」と述べる。そして、「適用下限額を高く設定すると寄附金額全体に対する税額控除の対象となる部分の割合が低くなってしまうことから、―――比較的少額の寄附を行う者に対する配慮が必要である」と、重ねて適用下限額の引き下げを主張する。結論として、「現行の10万円から大幅に引き下げ、5千円とすることが適当である」とする。
「現行制度上、適用下限額を超える寄附を行った場合でも、適用下限額以下の部分については控除対象とされていないが、このような取扱いを維持した場合、寄附金全額に対する実質的な控除率が低くなるため―――適用下限額を超える寄附を行った場合には、適用下限額以下の部分も含め控除対象とすべきとの意見があったが―――税額控除の割合を全額とした場合、寄附者の持ち出し(自己負担)が全くなくなることにより、(以下ページ20)寄附に係る納税者の姿勢の真剣さに影響を及ぼす懸念がある」と述べて、さすがに全額控除はしないこととする。
4 個人住民税の税額控除の手続きの簡素化
「納税者にとって「使いやすい」仕組みとするためには、制度の利用に係る事務手続きについて、可能な限り簡素化することが必要である」。ところが「現行制度上、地方団体に対する寄附金について所得税の所得控除の適用を受けるためには、確定申告を行うことが必要」と述べる。「しかし、確定申告を行なったことがないような給与所得者にとっては、新たに確定申告のために書類作成等を行う、あるいは税務署に足を運ぶという負担は小さくない」として、(以下ページ21)「個人住民税に係る寄附金控除制度に特化した申告の仕組みを設けることについて検討し、併せて、寄附を受けた地方団体が発行する領収証を個人住民税における寄附金控除の適用を受けるための申告書に活用すること」についても検討することにする。
5 地方交付税における取扱い
「現行の地方交付税制度のもとでは、地方団体が寄附金を受けても当該地方団体の地方交付税が減少することはなく、また、寄附者の住所地の地方団体においては、個人住民税減少分の75%は基準財政収入額に反映される」と述べて、ふるさと納税制度も同様の扱いとすることとする。このような扱いが妥当か、後程みる。そもそも、地方交付税制度について、深い議論がなされた様子が見られないことに疑問を感じる。
W 所得税との関係(ページ22)
すでに見たように、ふるさと納税を行なった者に対する控除については、住民税だけでなく所得税に対しても行うこととされた。その方式として、所得税についても税額控除にすることを検討するが、結論として、「所得税は所得控除方式を維持しつつ、個人住民税は税額控除方式をとる」こととする。そして「寄附金額のうち適用下限額を超える部分の税額軽減額が、所得税と個人住民税を合わせて基本的に100%となるような仕組みが適当である」と述べる。(以下ページ23)「ただし、―――軽減される個人住民税額の上限額は、個人住民税所得割の税額の1割までとする」ことにする。
X 地方団体の説明努力(ページ23)
1 地方団体における自主的な努力
「地方団体が納税義務者から寄附を受けるためには、地方団体が、寄附を受けるに相応しい行政を展開していることが前提となるものであり、各地方団体においては、地域の魅力を高めるための継続的な努力、地域における望ましい政治・行政に向けたたゆまぬ経営改善努力が求められることは言うまでもない。―――納税者が数ある地方団体の中から寄附したい団体を選択するようになれば、各地方団体は、このような地道な日々の努力やその成果をホームページ等を活用して自らの地域の魅力として情報発信を行ったり」するようになると述べる。「一方、寄附を集めるため、(地方団体が寄附者に対して特産品などの贈与を約束したり、高額所得者で過去に居住していた者などに対して個別・直接的な勧誘活動を強く行うなど、「ふるさと納税」制度を濫用する恐れへの懸念もある」とも述べる。現在の返礼品競争が、当初から懸念されていたわけだ。「しかしながら、このような事態は、基本的には各地方団体の良識によって自制されるべきものであり、懸念があるからといって直ちに法令上の規制の設定が必要ということにならないと考えられる」と結論する。
地域の魅力を高めるための継続的な努力が何故、ふるさと納税制度になってしまうのか、意味不明だ。この点も、後ほど見る。
2 寄附者に対する寄附金の使途の明示、報告等(ページ24)
「地方団体に対し寄附を行う納税者は、基本的に自分の寄附金がどのように使われるのかという点に強い関心を持っている。寄附金を受領した地方団体は、寄附者の「志」に応えるため、何らかの形でその使途を明らかにすることが望ましい」と述べる。ところが、「地方団体に使途公表等の義務を法律で一律に課すようなことは避けるべきであり、また税法上の要件としてもなじまないと考える。また、寄附金の使途に関わりなく、特定の地方団体を応援したいと考える納税者もいるであろうから、基本的に各地方団体の判断に委ねられるべき問題である」とする。地方団体に対する寄附一般と、ふるさと納税が一律に論議されていることに疑問を感じる。ふるさと納税を行っている方のうち、どれ程の方が、その使途に関心を持っているのか、甚だ疑問だ。この点についても、後ほど見る。
おわりに
「ふるさと納税の導入により、納税者の「ふるさと」に対する真摯な思いを制度的に表現することが可能となり、そのことが「ふるさと」に対する思いの高まりや自治意識の進化につながり、我が国の各地域に活力が生まれることを期待するものである」と締めくくる。実態は、そうなっていないどころか、正反対になっている。
B まやかしと言葉の誤用に満ち満ちたふるさと納税研究会報告書
●ふるさとへの恩返しというまやかし
報告書は、ふるさと納税制度の意義を、ふるさとへの恩返しとする。ここに、この制度の本質がよく示されている。ふるさと、そこへの恩返しという、誰もが反対しない情緒的な言葉で全てを語る。地方自治や地方税制そのものから論議を始めない。今日、およそ地方自治とは無縁の制度となってしまった大本は、そもそもの出発点にある。ところが、早々にふるさとは全国至る所に拡大する。
・全国全てがふるさとに
どこをふるさととするかの定義の困難性を理由に、全国全ての地域をふるさととする。ただ、それだけでは正当性に欠けると考えたのか、対象地域として、ボランティアで縁ができた地域や応援したい自治体をあげる。さらに、昨今の二地域居住の増加に対応するかのように述べる。この点については、後ほど更に検討する。しかも、こうした全国全ての地域をふるさととすることの意義を、納税者の意思の尊重とする。
・地方で育っても都会で納税というまやかし
報告書は冒頭、「地方のふるさとで生まれ、教育を受け、育ち、進学や就職を機に都会に出て、そこで納税をする。その結果、都会の地方団体は税収を得るが、彼らを育んだ「ふるさと」の地方団体には税収はない」と述べる。さらに本論のTで、「都会に転出した者が成長する際に地方が負担した教育や福祉のコストに対する還元の仕組みができないか、生涯を通じた受益と負担のバランスをとるべきではないか」とし、註で「子どもの出生から18歳までの間に教育・福祉・医療等の費用として、1人当たり平均約1600万円の公費負担が行われているという試算がある」と付け加える。
如何にも如何にもの、もっともな理屈に見える。しかし、税制なかんずく地方税制の考え方として、全くおかしい。働いていない=収入の無い子供が納税しないのは、あまりにも当然なことだ。そして、その子供に関わる費用は、第一義的にはその保護者が負担する。行政に関わる費用については、担税能力に応じて納税という形で、それぞれの住居地に保護者が納める。それで、税としては完了している。そのようにして育てられた子供が、働くようになり収入を得るようになる。そして今度は、子供が住居地において、行政に関わる費用について、担税能力に応じて納税する。なぜなら、育った子供は現在その地で生活し、その地の行政と関わっているからだ。それには、成長した子供による子育てに関わる費用も含まれている。そもそも、地方税制は、年金のような仕送り制度ではない。
このような制度が、はたして適正に機能しているか、また、その金額がはたして適正か、税金で充分に賄えるかは、また別の問題だ。当然のことながら、各地域間で税収の不均衡が生じる。それを調整する制度として、周知のように地方交付税制度が設けられている。この制度が充分に機能しているか、はたして適正かは全く別の問題だ。ところが報告書は、この点を深く検討しない。
ここでも、地方税制や地方自治そのものではなく、もっともらしい情緒的な言説で語る。
・二地域居住への対応というまやかし
日頃は都市で仕事をし、週末は地方で様々な活動をする。そうした二地域居住が増えているとして、ふるさと納税制度は、そうした新しい生活様式に対応するとも言う。報告書は、現行の制度は、「住所地主義と結びついた----人の移動が少なかった時代の税制」であるとして、あたかも新しい時代に対応するかのように述べる。
確かに、住民税は基本的に1か所にしか納税しない。しかし、何故それがふるさと納税の根拠になるのか? 住所地以外に不動産を所有していれば、当然固定資産税が発生する。また、住所地以外で自動車を所有し給油すれば、関連の様々な税が発生する。住所地以外で生活したり様々な活動を行い消費したりサービスを受ければ、消費税を納めることになる。ところが報告書は、これらのことに触れない。もっぱら新しい時代に対応するかのように喧伝する。
一方で、住所地以外で生活すれば、その地の都道府県道や市区町村道を利用することになる。また様々なゴミを生じ、その処分の多くを自治体に頼ることになる。これらの費用が、さきに見た税で充分に賄いうるかは、また別の問題だ。かねて別荘地などで問題とされてきたことだ。こうした点について検討するなら分かる。ところが報告書は、これらのことにも触れない。ただただ、移動が活発になった新しい時代に対応するかのように喧伝するだけだ。
●自治意識の進化というまやかし
報告書は、ふるさと納税の意義として自治意識の進化を挙げる。深化ではなく進化である点に、この研究会が自治をどう考えているか、よく表れている。報告書は、何をもって進化としているのだろうか。ふるさと納税を受け入れるに相応しい自治体になるよう、自治体が競争する。さらに、ふるさと納税をする納税者と受け入れる自治体との関係を述べる。つまり、これまでのように住んでいる自治体ではなく、ふるさと納税をした自治体について考えるようになることが、進化だというのだ。
報告書は、「地方自治は民主主義の学校」と記す。ところが、住民が日々暮らしている自らの自治体での生活については、全く語らない。これでは、自治でも何でもない。単に、地域の活性化を言っているだけだ。地方自治をさらに深めるのではなく、ここでも新しい時代に対応した制度を喧伝しているだけだ。
・中央-地方というまやかし
報告書は、「地方団体に対する寄附が行なわれた場合は、寄附金控除を行う地方団体の歳入が減少しても寄附を受けた地方団体の歳入が増加するため、地方団体全体の歳入総額は減少しない」と述べる。つまり、地方全体では±0なので問題ないというのだ。この研究会が自治をどう考えいるか、実によく示している。そこにあるのは、個々の自治体ではない。単に、中央-地方という発想だけだ。ここでも、自治を蔑ろにしていると言わざるを得ない。
・都道府県と市区町村を区別しないまやかし
さらに報告書は、「納税者の意思としては、――軽減される税が都道府県民税及び市町村民税のどちらの税から控除されているかという点についての意識はほとんどないものと考えられる」と述べる。つまり、ふるさと納税をする者は、都道府県と市区町村の区別など気にかけていない。減税されさえすれば、都道府県と市区町村のどちらから減税されようとどうでもいい、という訳だ。納税者も舐められたものだ。かねて議論されてきた都道府県と市区町村との関係など、この研究会の眼中には無い。
●納税者の意思の尊重というまやかし
報告書は、税の強制的に対して、納税者の意思を繰り返し述べる。ここでも、誰しもが感じる、強制性や重税感や負担感という情緒に訴える。そして、納税者が納税対象を選べれば「税制上そして税理論上、まさに画期的な歴史的意義をもつ」(ページ2)と自賛する。
こうした論理を、地方交付税制度との関連で、中央集権-官僚との闘いと唱える向きもある。各地方団体への分配権を中央の官僚が握っており、納税者の意思が反映されていない。それへの闘いだというのだ。問題のすり替えもいいところだ。 中央集権-官僚制の弊害について問題にしたいのなら、その点について集中的に検討すればよい。地方交付税制度に問題があるなら、地方交付税制度そのものについて検討すればよい。ところが研究会は、そもそも地方交付税制度について真剣に検討していない。
あるいは納税者主権という向きもある。税とは、国や自治体がその運営のために強制的に徴収する、正に権力行為そのものだ。したがって、税について語るということは、国や自治体のあり様そのものについて考えるということだ。ふるさと納税を納税者主権と関連付けて語る人たちに、その覚悟はあるのだろうか。その気概があるようには見えない。ここでも、小手先で幻想を振りまいているだけだ。そもそも報告書自体が、税の強制性を肯定している(ページ11)。
・受益と負担というまやかし
報告書は、地方税制について繰り返し受益と負担を強調する。この論理は、自治省時代から言われ続けている。そのために、住民税には所得割の他に均等割が設けられている。その結果、担税能力に欠ける者にも税負担が生じている。それを「地域社会の会費」(ページ9)としてよいのだろうか。住民税がもつこのような問題は、かねて議論されてきたことだ。受益と負担と聞けば、何かを利用した時の利用料を連想させる。そもそも住民税は、そのような単なる利用料ではない。ところが報告書は、こうした住民税そのものの問題について全く取り上げない。
●寄附というまやかし
報告書は、さすがに住民税そのものに手を付けることは断念した。そこで編み出されたのが寄附という手法であった。納税と呼びながら一方で、寄附とする。実に珍妙な論理だ。
・国語辞典にみる寄附
ふるさと納税制度では多くの場合、お礼として結構な返礼品が送られてくる。それを問題視する意見も多い。そもそも、寄附とはどのように定義されているのだろうか。いくつかの国語辞典を見てみる。『広辞苑』各版では、「公共事業または社寺などに金銭・物品を贈ること」とされる。例文として「母校に財産を寄附する」を挙げる。同じ岩波の『国語辞典』第三版では、「公のことや事業のため、金銭や品物をおくること」とある。また、集英社の『国語辞典』では、「金品などを公共事業や施設、あるいは信仰の対象に提供すること」とある。いずれも、寄附に対してお礼の有る無しには触れていない。実際、お礼の印として感謝状が贈られたり、記念の品が贈られることがある。返礼品自体をもって問題とはならないことが分かる。今の返礼品の問題については、後ほどさらに見てみる。
・返礼品が無ければ問題ないというまやかし
過度な返礼品競争を前に、このところ、返礼品の無いふるさと納税が喧伝されている。特に、環境問題や災害支援関連で見られる。つまり、「返礼品目当てではありませんよ」という訳だ。ふるさと納税というと、とかく返礼品と結び付けて語られがちだが、総務省の『ふるさと納税 現況調査』を見ても、返礼品の無い自治体への寄附が、必ずしも少ないという訳ではない。では、返礼品が無ければ問題ないのだろうか?
・そもそも寄附ではない
見たように、寄附にそれなりのお礼があったからといって、直ちに問題となる訳ではない。しかしそれは、あくまでも寄附に対する心ばかりの薄謝程度のはずだ。何らかの見返りを期待するとしたら、それは寄附の名に値しない。ふるさと納税をすれば、住んでいる自治体に本来なら納める住民税が減税される。何故か多くの論者は、この点を語らない。豪華な返礼品の問題さえ改善すれば、ふるさと納税の歪みが解決する訳ではない。住んでいる自治体への住民税を大きく減らしてもらった上に、結構な返礼品までもらえる。ふるさと納税は、そもそも寄附と呼べるような代物ではない。
・寄附の使い道を指定というまやかし
報告書は、ふるさと納税の使途の明示を推奨する。つまりここでも、単に返礼品目当てではなく、あくまでも自治体への寄附だとしたい訳だ。そのためか、総務省の『ふるさと納税 現況調査』を見ても、使途を選べるようにしている自治体が、ほぼ全てとなっている。ところが一方で、分野は選べても具体的な事業を選べる自治体は極めて少ない。ここにも、寄附と言いながら、寄附ではない実態がよく示されている。報告書自体が、使途の明示は「地方自治の進化につながるものと言うべきである。その意味で、地方団体に使途公表等の義務を法律で一律に課すようなことは避けるべきであり」として、使途公表の義務化を課さないことにしている。つまり法律や制度で強制しなくても、進化によって使途の公表は進むと言うのだ。ここでも、地方自治の進化を言う。ではどれ程、地方自治は深化しているのだろうか。甚だ疑問だ。そもそも、ふるさと納税をしている方がどれ程、寄附の使い方を意識しているか疑問だ。
●自治体間競争というまやかし
報告書は、「寄附を受けるためには、地方団体が、寄附を受けるに相応しい行政を展開していることが前提となる」と述べて、ふるさと納税制度によって自治体間競争が促進されるとする。また、とりわけ経済関係のサイトでは、多くのふるさと納税を集める自治体の“努力”を評価する意見も見かける。ふるさと納税を集められない自治体は、“努力”が足りないというのだ。そして、「都会の自治体も様々な返礼品を工夫して、ふるさと納税を集めればいい」と述べる。ふるさと納税をいかに多く集められるかは、いわばマーケティング戦略なのだとする意見もある。
豪華返礼品をめぐっても、「返礼品の製造や発送業務によって、地域経済が活性化しているので良いではないか」といったことを言う人がいる。こうしたことを言う人は、それらの原資がどこから出ているのか考えないのだろうか? 本来なら納めるべき住んでいる自治体から、住んでいない他の自治体へ移ったお金だということには、思いが至らないようだ。これでは、地方自治の深化・発展ではないどころか、地域振興でもない。単に、自治体間の足の引っ張り合いでしかない。
●地方交付税を見ないまやかし
当然なことに、それぞれの地域-自治体の経済力には違いがある。その結果、税収にも差が出る。しかも多くの自治体は、現在の税制の下では、最低限の行政を行うのに必要な収入にも事欠く。そうした財源不足を補い、更に自治体間の格差を調整するために設けられているのが、地方交付税制度だ。では報告書は、地方交付税制度について、どの様に述べているのだろうか。ページ21で、現行の寄附金と地方交付税との関係を述べる。「地方団体が寄附金を受けても当該地方団体の地方交付税が減少することはな」いとして、ふるさと納税を受けても、地方交付税に影響が及ばないようにした。また、「寄附者の住所地の地方団体においては、個人住民税減少分の75%は基準財政収入額に反映される」と述べる。つまり、減収分もそれなりに補填されるというのだ。如何にも、ふるさと納税は地方交付税制度に影響が無いように読める。そうだろうか?
言うまでもなく、地方交付税が交付されていない団体=不交付団体には、そもそも地方交付税自体が、はじめから交付されていない。したがって当然のことに、ふるさと納税による住民税減少分に対する補填も無い。丸々、減収となる。ところが報告書は、このことに全く触れない。
報告書は、何故このようにしたのだろか? 明文化こそしていないが、不交付団体=豊かな自治体=住民税減少分に対する補填が必要ない自治体、という考えではないのか。ここでも、世間一般にある思い込みに依拠しているように見える。
確かにこの研究会は、地方交付税制度の研究会ではない。しかしこれでは、かねてから機能の不充分さが問題視されてきた地方交付税制度を、更に悪くしているだけだ。
C 語らない政党
こうしたふるさと納税制度を、政党はどの様に語っているのだろうか。
●総選挙の公約に記載が全く無い
第49回衆議院選挙が、2021年10月31日投開票の日程で行なわれた。この選挙に際して各党は、ふるさと納税制度について、どの様に述べたのだろうか。ところが、ふるさと納税制度について述べている政党が全く無いのだ。一方で、地方創生・地方の活性化や分権といったことは、どの政党も掲げる。余りにもおかしくないか。報告書も認めるように、住民税は、地方税制の基幹的地位を占めている。地方創生・地方の活性化や分権といったことを言うなら、それを財政的に支える住民税に影響を与えるふるさと納税制度について語らないのは、余りにもおかしいと言わざるを得ない。しかも報告書が、「税制上そして税理論上、まさに画期的な歴史的意義をもつ」(ページ2)と自賛するように、ふるさと納税制度は、税理論上大きな変更を意味している。日頃、舌鋒鋭く論陣を張る政党の実相とは、このようなものだ。
●国会でまともな論議無し
ふるさと納税制度に関連する法律は、2008年の1月18日に召集された第169回国会で審議され成立した。1月25日に、内閣より地方税法の一部を改正する法律案として提出され、2月19日に衆議院総務委員会に付託され審議が始まった。そして、2月29日に総務委員会-本会議で賛成多数で可決された。続いて、参議院の総務委員会に付託された。ところが参議院の総務委員会では、採決されなかった。そして4月30日、送付後60日たっても参議院で議決がされなかったことから、憲法の規定により参議院で否決されたものと見なして、衆議院で再可決され成立した。これは、この法案自体をめぐって議論が紛糾したからではない。他の政争をめぐって、審議が混乱したからだ。各政党にとって地方の税制とは、この程度の位置づけでしかない、ということだ。
各政党は日頃、地方創生や地方の活性化、地方自治や分権といったことを声高に言い募る。しかし、実際にどれ程地方自治について考えているか、この事態が実によく示しているように思う。これが、各政党の実相だ。
●厳しく政権批判する党の実相
日頃、舌鋒鋭く政府与党を批判する政党の自治体の議員に、ふるさと納税制度について尋ねてみた。すると、「どちらかといえば賛成」とおっしゃる。驚いて重ねてお尋ねすると、「全面的に賛成という訳ではないが………」と言葉を濁す。これが日頃、舌鋒鋭く政府与党を批判する政党の実相だ。他の党にしても、ふるさと納税制度について熱く語るのを、聞いたことが無い。
D テレビでもラジオでもウェブでも ふるさと納税はお得!?
●ふるさと納税はお得
生活に身近な経済問題を取り上げ、庶民派の経済ジャーナリストと呼ばれる女性が、テレビでもラジオでも、「ふるさと納税はお得!お得!」と連呼する。お得?つまり、税金が安くなる上に、結構な返礼品までもらえる。なんとお得!なのでしょう、ということのようだ。この女性の考える経済の中には、地方税制-財政は全く入っていないようだ。庶民も見くびられたものだ。
●正にお買い物サイト
インターネットでふるさと納税を検索すると、返礼品を紹介するサイトが、上位にずらりと並ぶ。正に、お買い物サイトとなっている。このようなサイトを見てふるさと納税先を選んだ方が、地域の問題に関心を寄せ、地域に積極的に関わり、地方自治をより深めているとは、とても思えない。
●サイト運営業者が大儲け
しかも、こうしたサイトを運営している業者は、莫大な利益を上げているのだという。正に、ふるさと納税制度の実相の一面を、実によく示していると思う。その一つふるさとチョイスは、一人で始めた創業から5年で、社員が80名になったのだという(朝日新聞2016年12月5日)。また『日本経済新聞』によれば、ふるなびを運営するアイモバイルは、年収2000万円程度でふるさと納税で50万円以上寄付をする人向けのふるなびプレニアムに力を入れるのだという(15年10月23日)。そうしたこともあってか、業績も絶好調なのだという(21年9月9日)。また、ふるさと納税業務の受託事業を手掛けるフューチャーリンクネットワークは21年8月20日、東証マザーズに上場した。
E 深掘りしない報道機関
ふるさと納税制度を報道機関は、どの様に報じてきたのだろうか。報道量自体が、少ない訳ではない。問題は、その中身だ。
T 誰も質問しない
自民党総裁選に立候補しない=首相退陣を表明した菅首相が、2021年9月9日、記者会見を行なった。この1年を問われた菅氏は、「私の原点はふるさと納税にある」と述べた。ところが、この点について、誰も質問しない。確かにこの日の会見は、主にコロナ対策に関して設けられたものであった。しかし、実質的に菅氏の退陣会見であり、しかも、自身の首相在任1年を振り返って「私の原点」とまで述べたふるさと納税について、誰一人として質問しない。報道機関のふるさと納税制度についての姿勢を、実によく示している。
U 記事データベースに見る全国紙の実相
全国紙である『朝日』『日経』『毎日』『読売』各紙の記事データベースである、朝日新聞クロスサーチ、日経テレコン、毎策、ヨミダス歴史館をもとに、全国紙が、ふるさと納税制度をどの様に報道してきたのか振り返ってみた。
・制度ができるまでは様々な論議
まず気が付くのは、制度ができる前年の2007年時点では、各紙とも、賛否だけでなく様々な論議を報道しているということだ。ところが制度が始まってしまうと、途端に、そうした様々な論議は影を潜める。もっともこうした事は、ふるさと納税制度に限ったことではない。一旦制度ができてしまうと、深掘りされることは少ない。日々、次々と起こる様々なことを報道しなければならない事情もあるのだろう。しかし、報道機関としては寂しく思う。これは、報道機関だけでなく社会全般にも言える。
・以降は各地の活用例が満載
制度が始まった2008年春以降は、各地が、取り分け返礼品をいかに工夫をしているかの報道が多くを占めるようになる。また、著名人・有名人が多額の寄附をしたのかといった記事が目につく。これらは、ただ事実を報じているだけと言ってしまえば、その通りだ。しかし気になるのは、そこにほとんど批判的な視点が見られないことだ。むしろ、各自治体の頑張り、といった報道振りだ。
@ 社説に見る各紙の報道姿勢
・過剰な返礼品が問題視されてようやく
各紙とも、制度が検討されだした2007年5月に社説で取り上げた。ところがその後しばらく、社説がふるさと納税制度を取り上げることは無かった。ここに、各紙のふるさと納税制度に対する姿勢がよく示されていると思う。つまり、ふるさと納税制度そのものを深く考え報道する姿勢が無い。過度の返礼品が問題化すると、さすがにようやく社説で取り上げるようになる。
・ふるさと納税制度そのものは肯定
各紙とも、ふるさと納税制度そのものは否定しない。主張の要旨を、書き出してみる。
朝日新聞
14年12月21日 「原点は自治体の応援」 16年5月17日 「ふるさと納税のあるべき姿」 17年2月27日 「返礼品より使途で競え」
19年2月21日 「返礼品なくしてみては」 21年8月13日 「官製通販見直しを」 22年3月19日 「欠陥制度を放置するな」
日本経済新聞
15年4月15日 「本来の姿に」 17年4月17日 「持続可能なふるさと納税へ」 18年9月20日 「原点に戻れ」 19年1月31日 「運用を厳正に」
19年5月15日 「健全な姿に」 20年2月2日 「課題は残る」
毎日新聞
15年8月3日 「企業版の検討は慎重に」 16年6月29日 「返礼品の制限が必要だ」 18年9月18日 「無償の原点に立ち返ろう」
19年3月29日 「純粋な寄附制度に」 19年5月20日 「返礼3割でも矛盾は残る」 21年8月20日 「返礼品は廃止すべき」
読売新聞
14年7月11日 「利用促して地域振興図りたい」 15年5月12日 「趣旨に合わない豪華な返礼品」 18年9月18日 「豪華返礼品をどう規制」
19年4月7日 「原点に立ち返れ」 19年5月12日 「健全な運用に」 19年10月4日 「趣旨逸脱許さなかった総務省」
20年2月3日 「制度の原点を再確認したい」 20年7月1日 「返礼品競争を改める契機に」
一見して分かるように、各紙とも、過度の返礼品などがふるさと納税制度の本来の趣旨を歪めている、だから本来の姿に戻れ、と主張している訳だ。
A ふるさと納税研究会報告書にからめ捕られる報道機関
朝日新聞は、こう述べる。「応援したい自治体にお金を回すという本来の趣旨」(14年12月21日)。「寄付を通じてふるさとなどを応援するという本来の趣旨」(16年5月17日)。「返礼品ばかりが注目されるようでは、本来の目的からはずれ、寄付のあり方や税制をゆがめるばかりだ」(17年2月27日)。「ふるさと納税の当初の趣旨は、寄付を通じて故郷に貢献してもらうことだった」(21年8月13日)。
日本経済新聞は、こう述べる。「地方税は住民や企業が自治体から受ける行政サービスの対価として負担する。分納案はこの原則にそぐわないうえ、徴税事務も煩雑になるだけに、研究会の判断(=寄付制度にしたこと、筆者)は妥当だ。ふるさとの定義は人によって違うので寄付先を広く認める点も理解できる」(07年10月8日)。 「ふるさと納税はその名の通り、故郷や気になる地域を個人の自由意思で応援する制度だ」(18年9月20日)。 「ふるさと納税はその名の通り、故郷や気になる地域に寄付をして応援する制度だ」(19年1月31日)。
毎日新聞は、こう述べる。「住民税は、居住地の自治体から受ける行政サービスに応じて税を払う応益負担の原則に基づく。ふるさと納税は、この原則から外れるが、政策効果を踏まえて許容されている」(16年6月29日)。 「故郷や応援したい自治体に善意の支援をするふれこみだった」(19年3月29日)。 「純粋な寄付制度という本来の姿」(20年7月1日)。
読売新聞は、こう述べる。「地方には、地方で生まれ、教育を受けた人が、納税する年齢になると、都市部に移り住むという不満が充満している」(07年5月22日)。「故郷や応援したい自治体への寄付を促すふるさと納税制度」「納税額の一部を故郷のために役立てたい。そんな地方出身者の思いをかなえる」(14年7月11日)。 「故郷の町や頑張っている自治体を応援したい。そんなふるさと納税の原点に立ち返ることが重要」(15年5月12日)。 「善意の寄付によって地域の活性化を応援する。制度本来の趣旨に立ち返る必要がある」(18年9月18日)。 「地方活性化を善意の寄付で後押しする。そうした制度の原点に立ち返ることが重要だ」(19年4月7日)。 「善意の寄付で地方を元気づける本来の狙いを浸透させたい」「ふるさと納税が、都市の税収を地方に振り向ける一定の効果を上げたのは事実だ」(19年5月16日)。 「善意の寄付で地方を応援する。そうした制度の趣旨」(19年10月4日)。 「善意の寄付で地方を応援するという制度の趣旨」(20年2月3日)。
文字通り、ふるさと納税制度を基礎づけたふるさと納税研究会報告書の言辞そのものだ。過度な返礼品が問題になるまで社説がほとんど無かったことに、得心する。ふるさと納税研究会報告書が、いかにまやかしと言葉の誤用に満ち満ちたものであったかを見た。報道機関は、ふるさと納税研究会報告書に完全にからめ捕られている。
B コラムに見る記者の本音
コラムには、社説以上に記者の本音が、実に率直に記されている。いくつか見てみよう。
朝日新聞
補助線 07年5月20日
「税を取られるもの、と考えず、自ら納めるものととらえれば行政の見え方が変わるのではないか。「応援するふるさと」を持てば、心のきずなが納税意識を育むだろう。――これで中央と地方の税格差が埋まるわけではないが、自治体が知恵を絞って競争すれば、列島に新風が吹くだろう。――地方自治は民主主義の学校だ。ふるさと納税はきっと刺激的な科目になるだろう。」 ふるさと納税を、もろ手を挙げて称賛する。
政治断簡 15年4月26日 ふるさと納税した政治部次長が、あっけらかんと、こう記す。
「民間のポータルサイト「ふるさとチョイス」の「お礼の品でチョイス」コーナーから寄付先を決めた。――恥ずかしながら、何をもらったかは覚えているが、どこに寄付したかは忘てしまった。」 これが、朝日新聞政治部の実相だ。 しかし、こう付け加える事も忘れない。 「そもそもの趣旨に立ち戻ろうという、興味深い動きを聞いた。自治体が指定したNPOに寄付金を交付しているところがある」と記して、「ふるさと納税とNPO支援を組みわせた」と称賛する。ところが、ふるさと納税制度そのものについては、決して語らない。朝日新聞の本質を、実によく表している。
eco活プラス 18年3月20日 寄付で守ろう自然環境、と題してふるさと納税の積極活用を推奨する。
「遠く離れた地域の自然を残す取り組みや、個人では手伝いにくい専門的な環境活動を少しでも支援したい。そんなときには、インターネットを通じてお金を贈ることができる。ふるさと納税やクラウドファンディングなどの仕組みが充実してきた」と述べて、「ふるさとチョイス」内の「自然保護等」という使い道で納税先をを選べる、として積極推奨する。ここでも、返礼品目当てではないふるさと納税を称賛して見せる。
日本経済新聞も負けていない
茶ばしら 16年6月28日
「ふるさと納税の制度面をめぐる議論や調整は今後も続くだろうが、寄付を集め特産品で返礼すれば地元経済は活発になる。自治体担当者の知恵の絞りどころだ。」 過度の返礼品に疑問を呈しながら、結局は、ふるさと納税制度を肯定する。
ふるさと納税過去最高 魅力や注意点、記者が検証 17年7月4日
「寄付総額の上位は返礼品の豪華さで知られる自治体が並ぶ」として、各地の豪華返礼品を紹介する。さらに、「ふるさと納税のお得度を高めるには共通ポイントの活用も検討したい」と述べる。もはや、開いた口が塞がらない。
春秋 17年12月27日
「民話の世界では、動物たちがしばしば恩返しをする」として、ふるさと納税を現代の恩返しに例える。「制度本来の趣旨は、生まれ育った故郷や気になった地域への支援だ――と知りつつもお礼の牛肉や海産物、銘柄米などに目が向くのが人情か」と平然と記す。
もちろん、これ程までのコラムばかりという訳ではない。取り分け、過度の返礼品が問題になってから、そうした事を批判的に見るコラムも散見する。例えば、日本経済新聞の21年8月15日の勝者なき財源争奪戦と題したコラムは、ふるさと納税による税額控除が寄付総額を上回る事を指摘し、ゼロサムゲームどころか「マイナスサムの競争」であるとし、「ならしてみれば皆が損をしているような寄付金税制」と述べる。しかし、このようなコラムはごく少数だ。
C 地方ー中央のはき違え
日頃報道機関は、中央集権やそれを牛耳る霞が関の官僚に厳しい姿勢をとる。ふるさと納税制度でも、そうした地方自治の守護者であるかのような振る舞いを見せる。
・泉佐野市など除外
余りに過度な返礼品に業を煮やした総務省は、19年6月に地方税法を改正して、返礼品の調達価格を寄付額の3割以下にすることや地場産品を返礼品にすることなどを自治体に求めた。
そして、これを守らない泉佐野市などをふるさと納税の対象から除外した。泉佐野市は、これを不服として裁判に訴えた。高等裁判所は国の主張を認めたが、最高裁判所は20年7月、逆に泉佐野市の主張を認め、除外を違法とした。
これに対して報道各社は、強弱はあるものの、総務省の姿勢を批判した。全国紙ばかりではない。西日本新聞は、20年7月4日の社説でこう述べる。「国の方針に従わない自治体を強引な法改正とそれに基づく一方的な通知で制御しようとした結果である。地方自治を所管する省庁にあるまじき行為だと批判されても仕方あるまい。総務省には猛省を求めたい。」一方で、過度な返礼品を贈り続けた泉佐野市も批判し、「どっちもどっち」と述べる。そして、「善意の寄付と自治体の良識を想定した制度」であるとして「返礼品は廃止するのが筋だ」と結論する。
そもそもこの件は、法律改正前の行為を元にした処分であり、純法理的に無理筋の話であった。それを、あたかも地方自治の否定であるかのように批判する。はき違いもいいところだ
。したがって、ふるさと納税制度そのものについては全く語らず、「返礼品は廃止するのが筋だ」としてしまう。
・更迭された総務官僚を擁護
控除額の倍増や確定申告を不要にするなど、ふるさと納税制度をさらに拡充しようとする菅官房長官(当時)に対して、さすがに総務省の自治税務局長が疑問を呈した。ゆくゆくは事務次官と目された人物である。これに激怒した菅官房長官は、自治税務局長を自治大学校の校長に体よく追い出してしまう。事実上の左遷である。これに対して朝日新聞は22年3月19日の社説で、「ふるさと納税は、菅前首相が総務相や官房長官として、反対する総務官僚を左遷して創設や拡充を決めた」と述べて、批判して見せる。さらに、「交付税は本来、地方固有の財源であり、国は代理徴収しているに過ぎない。しかしその配分は総務省のさじ加減に左右され、自治体は同省の意向を忖度せざるをえなくなっている」と述べて、総務省=霞が関批判を展開する。では何故、こうしたことを作り出したふるさと納税制度そのものは検討しないのか? 報道機関の実相を実によく示している。
D 返礼品が問題の本質ではない
ふるさと納税制度が始まった当初は報道が少なかったものの、過度の返礼品が問題視されるようになってから、さすがに批判を強めた事を見た。中には、返礼品は止めるべきだという主張も見られるようになる。取り分け強く主張するのが毎日新聞である。16年6月29日の社説では「返礼品の額に一定の上限を設ける」としていたが、次第に返礼品廃止の主張を強めていく。19年3月29日の社説では、「返礼品を廃止し、純粋な寄附制度に改めるべきだ」と言い切る。以後、19年5月20日「見返り抜きで、故郷の応援や被災地の救援に役立てる純粋な寄付制度に改めるべきだ」。19年10月7日「返礼品を廃止する以外に道はない」。20年1月31日「返礼品を廃止するしかあるまい」。20年7月1日「返礼品を廃止し、純粋な寄付制度という本来の姿に回帰すべきだ」。21年8月20日「返礼品を廃止すべきだ」。
しかし、返礼品がふるさと納税制度の本質ではない事を見た。ここにも、ふるさと納税制度を過度な返礼品の問題に矮小化してしまう報道機関の姿勢を見る。
E 積極活用を推奨=『日本経済新聞』
節税などふるさと納税の活用を懇切丁寧に、繰り返し記すのは日本経済新聞である。コラムの表題を並べてみよう。節税準備、年内に始めよう=11年11月26日、知って得する税の知識=13年2月21日、年末調整損をしない=13年11月19日、ネットからふるさと納税=15年2月26日、ふるさと納税で減税目安=15年4月7日、ふるさと納税もっと身近に=15年7月11日、ふるさと納税、ポイント制が便利=16年11月19日、ふるさと納税、なぜお得=20年12月5日、まだ間に合う、ふるさと納税=20年12月12日、ふるさと納税、年末の心得=21年10月23日。これを、さすがに経済紙と言うべきなのか?
F ふるさと納税を積極的に推進する『朝日新聞』
・タブロイド判の別刷り
『朝日新聞』は年数回、地方通信・ふるさと納税と題するタブロイド判の広告特集を発行している。大見出しは、ふるさと納税で全国の自治体・事業者を応援しよう!となっている。さらに、早わかり!ふるさと納税申し込み手順 スマホやPCで手続きは簡単! 最短5分で完了! ふるさと納税の特徴おすすめのPOINTと続ける。ページを繰れば、各地の返礼品紹介がてんこ盛りだ。
・女子組
女子組(現ハイシスタ)という、文字通り女性記者が中心になって女性にまつわる問題を取り上げたページがあった。その16年11月8日のページは、「みんなどうしてる? マネー編 おいしく、ちかく ふるさと納税」と題して、「こうしています!」として、すでにふるさと納税を活用している女性たちの声を取り上げる。例えば、ふるさと納税に関するブログを運営しているという、子ども3人と夫の5人暮らしの女性の声を紹介する。「普段は夕食の時間がバラバラなことが多いのですが、ふるさと納税でいただいた品が並ぶ日は家族が食卓にそろいます。どんな歴史や産業がある地域なのかを調べて、話題にしています。次はどこの自治体の何にしようと家族会議が盛り上がります。」この女性は、自分の住んでいる自治体については、どれ程の関心があるのだろうか?
さらに、「初心者向けセミナー、返礼品の一例展示も」として、ふるさとチョイスを運営するトラストバンクが有楽町近くに開いた、ふるさとチョイスCafeを紹介する。そのセミナーがいかに盛り上がったかとして、「都内の会社員の女性(28)は、ある市に5千円を寄付し、返礼品は野菜のセットを選んだ。」そしてその女性の声として、「自分が得するだけでなく、地域のためになっていることがわかった。これからも家族で楽しみたい」と記す。モニターの声も紹介する。「返礼品には特産品の果物がオススメ。その地方にだけ出回っている品種改良された果物などもあり、ハズレがありません」。「我が家だけでなく高齢の両親が暮らす実家にもお米を届けてもらってます。親孝行ができ助かっています」。
最後に「記者のナルホド」として、「ふるさと納税をしたことがない人はまだ多いようです。寄付先は返礼品から選ぶだけでなく、自分の興味や関心に沿った使い道から選ぶのもいいですね。今年中にデビューしてみませんか?」と締めくくる。
日頃、女性に対する理不尽を声高に非難し続ける女性記者たちの、これが実相だ。
・ひと欄
ひとという、文字通り各界で活躍する人物を取り上げる欄がある。その16年12月5日の欄は、ふるさと納税ブームの立役者の起業家と題して、ふるさとチョイスを始めた女性を取り上げる。それによれば、「派遣社員やアルバイトなど、非正規の職場を渡り歩いてきた」「就職氷河期をくぐって郷里の車販売会社で正社員になったが、任される仕事が物足りず1年で退職。その後はコールセンター、電話回線営業など非正規職を転々。どこでもやりたいこと見つからなかった。ならば自分で会社をつくろうと思ったのです。」「実家の家電をネットで安く買おうとしたら、地元に金が落ちないとしかられた。」そこで「ふるさと納税なら地方を元気にできる」として「1人で始めた」のだとある。まるで立身出世物語だ。そこには、こうした業者が大儲けし、税制をいかに歪めているのかといった視点は全く無い。
日頃何かにつけて厳しく批判的な論陣を張る『朝日新聞』の、これが実相だ。
報道各社は、永田町-霞が関絡みの問題については、実に熱心に取材-報道する。ところが自治体の財政については、首長選挙の時ぐらいしか報じない。永田町-霞が関絡みの問題が、どうでもいいとは勿論言わない。しかし私たちは、永田町や霞が関で暮らしている訳ではない。それぞれの地域で暮らしている。そして、通勤や通学・買い物のために道路を歩く。その道路の多くは、市区町村道だ。生活していれば、水道を使い排水する。これらも、自治体が運営している。そして、少なからぬゴミを出さざるを得ない。これまた、自治体によって処理
していただいている。こうしたことを賄うのが、住民税や固定資産税といった地方税だ。報道各社は、人間の営みの根幹を報道していないことになる。
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ふるさと、そこへの恩返しという、誰もが反対しないまやかしから始まったふるさと納税制度。ところが、そうした事をどの政党も語らない。そして日頃、批判的な論調の多い報道各社も、ふるさと納税研究会報告書にからめ捕られている。ふるさと納税制度から、自分の住む自治体や地域への関心が深まり、地方自治が根付いてゆくとは、とても思えない。
・開発最優先の常磐新線
・木造低層密集から高層密集へ
メールはこちらまでnarahara@herb.ocn.ne.jp
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